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當社の例祭は明治以降四月二十四日に行われる。然し往古は四月の二の午の日に行われる古例であった。そして之の神事を葵祭又は葵神事を云い、又之の御神幸を御陰祭とも呼ぶ。之は山城の一之宮である賀茂別雷神社並びに賀茂御祖神社で古来四月の二の午の日に御陰祭が行われ、又同月二の酉の日に葵祭が行われたのと軌を一にし、欽明天皇の御代に始まったと伝えられる。當宮祭神を葵大神、又は青位大神とも申す古記も存する。之は御祭神の再誕に関する、所謂御生れの神事であるが、當神社に於ては更にその淵源をたどると、人皇四代懿徳天皇の御代四年甲午年に始まったと伝えられ、之の祭儀には豊受大神及び、彦火明命・彦火火出見命・丹波道主命に関する深秘がある。賀茂社と異る所は、賀茂の祭礼では祭員が葵の葉を付けるが、當社では祭員等が冠に藤の花を挿すことが古来の例になっている点である。このように當神社では藤の花が御祭神に深い由縁を持ち、その始めは藤祭と稱していたのであるが、欽明天皇の御代に始まった賀茂祭が葵祭と稱せられるに及んで、當神社でも葵祭と稱されるに至ったと伝えられる。
 これは當神社の元初の祭神豊受大神が水徳の大神であらせられ、与謝郡真名井原の天の真名井の水に因んだ本来の故事であったからである。

伊勢の祠官度会元長の神祇百首と云う和歌に、「藤花 花開ハ真名井ノ水ヲ結ブトテ藤岡山ハアカラメナセソ」とあり、註に「件ノ真名井ノ水ハ自天上降坐ス始ハ日向ノ高千穂ノ山ニ居置給フ其後、丹波与佐之宮ニ移シ居置タマフ、豊受大神勢州山田原ニ御遷幸仍彼水ヲ藤岡山ノ麓ニ居祝奉リ朝夕ノ大御饌料トナス」と見える。これは藤の花と真名井の水のことを詠じた歌であるが、外に當神社の祭に藤の花を用いたことは、後拾遺和歌集に良暹法師の詠める歌に、「千歳経ん君が頭挿せる藤の花、松に懸れる心地こそすれ」とあるに依って知られている。

本宮に対して奥宮である真名井神社の例祭は、豊受大神が御鎮座された日の九月十五日であったが、明治以後新暦を用いるようになってからは十月十五日となった。

豊受大神はその御神格の中に月神としての一面も持っておられ、真名井神社の昔の例祭が、九月十五日と云う満月の日に行われた事もその反映と思われる。又その御神徳が数字の奇数に関わりがあり、一年の五節句(一月七日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日)、殊に後の七七・九九の二節句とは最も深い結びつきの神秘がある。古来中国に於いて、奇数が陽とされ、偶数は、陰を表した事と照應する数字が、當神社祭神秘伝の中に存するようである

當神社の藤祭りが始まったのは、懿徳天皇四年(皇紀一五四年)と伝えられるが、平成六年は皇紀二六五四年となり、数えて藤祭り発祥満二五〇〇年目に當り、五月二十二日を吉日と卜して、藤祭葵祭発祥二千五百年祭を氏子中の奉仕により、盛大に行った。